爆音

kudokan

まだまだ開催中の爆音映画祭、私は先週何回か足を運びました。

映画を爆音で上映することについていろいろな議論もあるようですが、私としては単純に数年前のハリウッド映画が映画館で見られるというだけでも貴重な機会なんじゃないかと思ったりします。

ところで、昼食をとっていたバウスシアター近くのアジア料理屋で店員さんと話していて、爆音映画祭に行ってるんです、みたいな話をしたら、「あ、爆音映画祭ですか……(ちょっと不安そうな顔)あれって、聴覚の限界への挑戦っていうか、本当に相当の爆音なんですよね?途中退席する人も結構いるらしいじゃないですか。耳は大丈夫なんですか?」と本気で心配されました。

鈴木くん、どうやら爆音映画祭は常軌を逸した我慢比べイヴェントか何かだと思われてるらしいです、近隣住民から(笑)!すかさずフォローしておきましたけれど!でも、そういう、訳が分からないけど訳が分からないなりに関心を集めているイヴェントって今や貴重だよな、と感心しました。

さて、爆音映画祭で見た作品についてざっと感想らしきものを。

まずは、スクリーンで見る『ビッグフィッシュ』、『宇宙戦争』、素晴らしかったです。

トライポッド登場の重く低い効果音の振動は強烈な体験でした。この音だけでもそりゃ人類滅びるわ、と心の底から納得できます。

一方、『彼方からの手紙』は、面白い映画だと思うのですが、爆音だからといって以前に通常の上映で見たとき以上の楽しさは私には見出せませんでした……。とはいえもちろん、とりわけ「雪」中ダンスなど、存分に堪能させていただきました。

あと、『ビッグフィッシュ』は「(遠回りをして)父を葬ること」、『宇宙戦争』は「(遠回りをして)父親に返り咲くこと」、『彼方からの手紙』は「(遠回りをして)父になること」の映画でした。たぶん。

そのようなテーマを映画の題材として描くという時点でテーマに対するアプローチとして何らかの〈遠回り〉をしようとしているのは当然とも言えるわけですが、しかしこの〈遠回り〉って映画を見るという経験の原理的なところとも共鳴している部分がある気がしています。

『スローターハウス5』もかなり良かったですね。主人公の妻がパニクって事故起こすところとか。音楽グレン・グールドだそうですへー。

『ポーラX』。冒頭にあんな映像があったこと、すっかり忘れていました。中華料理屋でアジア系のおっさんがカラオケを歌うところ、良かったです。

『ジャン・ブリカールの道程』と『JLG/自画像』は、史上最強に先鋭的な癒し系映画二本立て、と名付けたいですね(もし誰かに殺されずに済むならば)。延々と映され続ける、船から見た林の映像と、田園風景。あるいは、ポンポンのついたニット帽をかぶり、カジュアルな服装でテニスをするゴダール……。ハードコアな視聴覚的試みとお茶目さがこれほど接近しているのはどういうことなのでしょうか。

『The Anchorage 投錨地』は裸も良いけど水着姿も逆に良いよね、……とかいう話では一切なく、終盤近くまで淡々と日記風に綴られていきます。しかし、主人公の女性がトイレに腰掛けて何やら悩み始めた辺りで僅かに調子が変わる予感がし始め、最後水着で観客が驚く、みたいな構成になっていて、なかなか面白かったです。

なんだかんだで入り浸ってしまうのが爆音ですが、今年は『暴走パニック』見逃したのがかなり心残り!

誰か見てたらどんなだったか、渡瀬恒彦のショットガンはどう火を噴き、どう車を横転させたのか、ぜひ聞かせて下さい!

それでは~。


3 Responses to “爆音”

  • 角尾 Says:

     『彼方からの手紙』、爆音にて初めて観ました。「雪」が降りしきる中で人間が悶えるという画面表象は、普遍的に人間を興奮させる、と思います。『ドッペルゲンガー』もそのままそうでしたし、あと、『冷たい雨に撃て、約束の弾丸を』もそうだよね。紙くず降りなぐる草原で、ゴミを固めた巨大立方体を転がしつつ、死に物狂いの男たち。復讐に纏わる人間の根源的な醜さに、画面全体が絶望し、泣き叫んでいる気がするのだ。
     しかし、それはまた、祝賀の輝く大玉から溢れる紙吹雪をも連想させ、賞賛の高揚感も喚起する。
     紙吹雪の画面は、絶望と激賞に引き裂かれている。
     そして工藤君の言う通り、その中にいる人物を見ると、みんな踊っているみたいだね。『ドッペル〜』の役所広司も、『彼方〜』の主人公も、体をひしゃげ、四肢を湾曲し、躍動してるし、『冷たい雨〜』の三人がAK持って飛び出すシーンも、スローモーションで体を浮遊させつつ、骨も肉も歪曲して、宙を舞っている(『新学期操行ゼロ』!)。
     つまり、本来二次元であるスクリーンが、ゆらめく紙片によって空間性を獲得すると共に、身体も立体的運動を獲得し、その物質性を開示する。
     紙吹雪の画面は、舞台と化して舞踏と連結し、身体そのものを露呈する。

     というあたりまで考えました。「紙吹雪の画面」と総称しうる一連のものは、常に、作品内で特異点をなす気がするのです。

  • tunoo Says:

    『彼方からの手紙』、爆音にて初めて観ました。「雪」が降りしきる中で人間が悶えるという画面表象は、普遍的に人間を興奮させる、と思います。『ドッペルゲンガー』もそのままそうでしたし、あと、『冷たい雨に撃て、約束の弾丸を』もそうだよね。紙くず降りなぐる草原で、ゴミを固めた巨大立方体を転がしつつ、死に物狂いの男たち。復讐に纏わる人間の根源的な醜さに、画面全体が絶望し、泣き叫んでいる気がするのだ。
     しかし、それはまた、祝賀の輝く大玉から溢れる紙吹雪をも連想させ、賞賛の高揚感も喚起する。
     紙吹雪の画面は、絶望と激賞に引き裂かれている。
     そして工藤君の言う通り、その中にいる人物を見ると、みんな踊っているみたいだね。『ドッペル〜』の役所広司も、『彼方〜』の主人公も、体をひしゃげ、四肢を湾曲し、躍動してるし、『冷たい雨〜』の三人がAK持って飛び出すシーンも、スローモーションで体を浮遊させつつ、骨も肉も歪曲して、宙を舞っている(『新学期操行ゼロ』!)。
     つまり、本来二次元であるスクリーンが、ゆらめく紙片によって空間性を獲得すると共に、身体も立体的運動を獲得し、その物質性を開示する。
     紙吹雪の画面は、舞台と化して舞踏と連結し、身体そのものを露呈する。

     というあたりまで考えました。「紙吹雪の画面」と総称しうる一連のものは、常に、作品内で特異点をなす気がするのです。

  • kudokan Says:

    確かに、「紙吹雪の画面」は好きな人多そうですね。
    かくいう私もやった覚えが……(某サークルの新歓CMで)。
    舞台化~舞踊~身体、というのはなるほど!
    おっしゃるとおり、思い出してみれば「紙吹雪の画面」の特異性はその独特の身体性にあるのかもしれないですね。
    あと、「紙吹雪の画面」について思うのは、時間のことです。あの画面に流れている、あるいはあの画面が存在している時間は、いかなる時系列にも着地していない、浮遊した時間としてある気がします。
    このへん考えてみると面白そうです。

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