[Lehrstucke 05]tsudalog
採録者:
one_quus_one=工藤(アカウントは大寺さんのもの)
tora_megane=降矢聡
tamadaken=玉田健太
horntailboy=角尾宜信
※発言者は、各文の冒頭に明記されています。
例)one_quus_one
玉田:タマちゃんには親近感を感じる。
※この場合、玉田の発言「タマちゃんには親近感を感じる。」を工藤が採録した形になります。
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one_quus_one (工藤鑑)
それでは、本日の[Lehrstucke 05]、実況はじめます。大寺さんのアカウントをお借りして工藤鑑がツイートします。よろしくどうぞ~。
tora_megane (降矢聡)
大寺:諒って鯨って漢字に似てるね<本日の発表者、加藤諒君に
tamadaken (玉田健太)
恒例の自己紹介開始
tora_megane
今回は自己紹介と合わせて、各自、「この恋愛映画がすごい」話もすることに。
tamadaken
大寺:トリュフォーやデプレシャンなど、まず基本的なものを
tora_megane
加藤:あんまり恋愛映画観ないですね
tora_megane
加藤:ボーイズオンザラン。原作に比べたらそんなにだけど結構楽しめた
tora_megane
林原:2回目の参加。早稲田第二文学部生です。
tora_megane
林原:瑞々しい恋愛心を無くしてしまった
tora_megane
大寺:無くしたってことは、過去にはあったんでしょ?
tora_megane
林原:おすすめは百年恋歌。瑞々しい。
tamadaken
林原:かつてあったが、今は失われたと思われる恋心について。恋愛映画を撮ることについて。
one_quus_one
鈴木:シャブロル『気のいい女たち』。ここからシネフィルの若い男の子のストーカー傾向について話が発展。
tora_megane
工藤:『気のいい女たち』って恋愛映画じゃないじゃん!
tora_megane
大寺:男子に好きな恋愛映画を聞くと、ストーカーっぽいのを選ぶよね。
tora_megane
鈴木:ジャック・ロジェのような、瑞々しいのも好き
tora_megane
角尾:『モダンタイムス』(チャップリン)。最後の台詞、頑張れば大丈夫だよに感動
tora_megane
大寺:でも織田くん(チャップリン風に演じたフィギュアスケート)はだめだったよ
tora_megane
チャップリンの「街の灯」は現実か幻想か? 大寺VS角尾
tamadaken
大寺:女性との関わりを拒否して男のロマンを残すカラックス、これらを推す男の子。ロメールは違う
tora_megane
大寺:角尾くんのもっと生々しい話を聞きたいよ
tamadaken
角尾:個人的には、生々しい恋愛をした。
tora_megane
大寺:どういう恋愛映画が好きかで、どんな恋愛してきたかわかる
tora_megane
大寺:みんな、恋愛映画を語って、恥ずかしさを乗り越えよう! 今日は恥ずかしゼミナールです
one_quus_one
角尾さん、『モダンタイムス』にダメだしされてアルモドバル『トーク・トゥ・ハー』を挙げる。
tora_megane
角尾:『トーク・トゥ・ハー』。あのちょっと幼稚な男の子。あれ自分っぽくて恥ずかしい
one_quus_one
大寺:ここにいるメンバーは今度から映画館で遭遇したらアメリカンスタイルの挨拶(メジャーリーガーとかヒップホップの人がやるようなやつ)に決定。
tora_megane
関谷:アニーホール
one_quus_one
小林君もウディ・アレン。ぐっと大人な方向へ。
one_quus_one
大寺:ウディ・アレンももてない男の自己卑下が強い
tora_megane
大寺:そういう意味ではデプレシャンとウディ・アレンは似てる部分あるけど、そこから違っていくのが面白い
one_quus_one
大寺:(アレン作品は恋愛が楽しそうではないとの小林君の発言に)いや、アレンは恋愛至上主義者では?
tora_megane
奥田:まず宣伝をさせてください。3月15日11時半から17時まで早稲田大学学生会館にて、上映会やります! すべて早稲田大学一年生の作品です
tora_megane
大寺:ただ上映するだけじゃ、だめ。興味を持ってもらう、意見を言ってもらうための努力が必要
one_quus_one
大寺:「開かれる」とかいっても、意見もらえるとは限らない。意見をもらえるように宣伝や努力が必要。
tora_megane
大寺:映画の上映会自体を魅力的なものにしなくてはいけない ただ一年生が上映会やりますじゃ外部に対するアピールにならない
tamadaken
奥田、一年上映会お知らせビラを配布。明らかになっちゃん(この会の参加者である鈴木夏子)によるデザイン
tora_megane
工藤:はい、頑張って下さい
one_quus_one
大寺:外部の人に訴えかけるための魅力を作るためには、むしろ早稲田の一年生というのはウリにしない方がいいのでは?>奥田
tora_megane
奥田:オルエットの方へ ロジェ、全然知らなくて観た
tora_megane
奥田:オルエットのあの男、あのいじられっぷりは自分みたい
one_quus_one
奥田:親戚の女の子の間に一人だけ男として自分がいるのと同じ状況。
one_quus_one
大寺:血縁が絡むと、女の子同士の間には入れない。「弟」という枠はきつい。
tora_megane
大寺:駄目な自分を客観視出来る分、さっきのストーカー映画より恋愛レベルはワンステップアップ。
tora_megane
滝本:恋愛映画は基本あまり好きではない。 強いて言えばスコセッシ、『ドアをノックするのは誰?』
tamadaken
工藤:(ペットボトルを落とし)あぁ~
one_quus_one
タッキー(滝本):女の子をリビドーの対象としてしか見てこなかったので、ウェルメイドな恋愛映画には感情移入できないが、『ドアをノックするのは誰?』は好き
tora_megane
滝本:キム・ギドクとかも。オブセッションものが好きというかシンパシーを覚える
one_quus_one
タッキー:オブセッション、自己完結的な映画に惹かれる。ギドク、スコセッシ。
one_quus_one
タッキー:ケン・ローチの『マイ・ネーム・イズ・ジョー』。あと、カラックス。
one_quus_one
大寺:ヌーヴェルヴァーグの作品には全肯定でも全否定でもない普通の女の子が出てくる。ケン・ローチも。
tora_megane
滝本:ケン・ローチの映画ですごいのは反復と離反のモティーフ。
one_quus_one
大寺:ロマンに浸ろうとする男を、まあ酒でも飲めよ、と誘う感じがローチのよさ。
one_quus_one
大寺:映画鑑賞の形態(一方的な妄想)が童貞男の妄想と親和性が高い。だからダメというわけでもなく、でもそれを自己肯定して良い訳でもない。
tora_megane
滝本:ビスコンティ『ベニスに死す』。小さい頃に観て憧れた
one_quus_one
大寺:子供の頃憧れる耽美な世界だよね
one_quus_one
降矢:ロン・ハワード『スプラッシュ』。人魚の女の子がオルゴールをもらって、「素敵な箱」というところ。そこから噴水につながる。
one_quus_one
降矢:ナオミ・ワッツが気になる。何もなさそうだけど・・・・・・。
one_quus_one
大寺:真中瞳の存在感と似ている気がする(笑)。安い感じ。プロデューサーと寝てそうな……失礼なこと言ってしまった(笑)
one_quus_one
降矢:表層的
one_quus_one
降矢:『キングコング』で替え玉にされてもぜんぜん平気、みたいな。タクシーの黄色とナオミ・ワッツの金髪すら交換可能なのではないか、と思うほど
one_quus_one
タッキー:『マルホランド・ドライヴ』そのままの感じ。
one_quus_one
大寺:テレビタレント感がある。
one_quus_one
玉田:雨に唄えば。三角関係が生じないのがもとから決められているかのよう。
tora_megane
玉田:脇役の男の(ジャンルの規則として禁止されている)恋愛が気になる。
one_quus_one
玉田:デビー・レイノルズはジーン・ケリーの方もドナルド・オコナーの方も均一に振り向くし、ドナルド・オコナーにキスをしても恋愛だとは思わない。
tora_megane
大寺:(工藤に向かって)唯一のパパとして頼みますよ
tora_megane
工藤:『ラブ・アクチュアリー』が好き。でも憧れ。 実情に近いのは、リチャード・リンクレイター『ビフォア・サンライズ』と『ビフォア・サンセット』。
tora_megane
大寺:(『ビフォア・サンライズ』『ビフォア・サンセット』は)ロメールの真似っこみたいな映画だよね。ところで、リンクレイターはどうだろう? メジャーとマイナーどちらも撮るけど どちらもそこそこな感じ。 そのそこそこ上手く出来るっていうことに 無反省な感じがする。むしろそこそこで誇らしく感じているのでは?
tora_megane
大寺:ソダーバーグにも似ているようなところがあるけど、ソダーバーグは、そのそこそこ感をわかっている。その枠への自己批判がある。 リンクレイターは小市民では?
tora_megane
工藤:私は小市民を肯定します。 むしろソダーバーグのほうが古いんではないか?
tora_megane
大寺:でも、それこそ重要な点では?今の時代、撮ろうと思えば結構それなりに撮れてしまう。 ソダーバーグはそんな自分にそれでいいのか?と問いかけているのでは。 リンクレイターにそれはない。
tora_megane
大寺:ソダーバーグには頭の良さに対して恐怖がある。
tora_megane
工藤:リンクレイターは反省しないことを選択し、あえて真似しているという態度を 提示していると考えることも可能では?
tora_megane
大寺:というよりリンクレイターは満足しているのでは? ソダーバーグの「インフォーマント!」は何でもそこそこやれることに対する恐怖の 映画だった
tamadaken
大寺:ハリウッドでエッジを効かせるためには、時間軸をいじるというのは古典的な方法>タッキーによる、ソダーバーグ作品における時間軸操作の指摘に対して
tora_megane
ケイヤ:今日初参加。中条(省平)さんのゼミにいます。 最近、関心あるのは、戦後のハリウッド映画とモダニティについて。
one_quus_one
ケーヤさん:ダグラス・サークから、戦後のハリウッド映画とモダニティについての研究。
tora_megane
大寺:なぜダグラス・サークを?
(ケーヤさんはぴあフィルムフェスティバルのサーク特集を見たようです)
tora_megane
ケイヤ:(これが凄い!恋愛映画の話に戻って)デプレシャン『クリスマス・ストーリー』。先日、試写にて。
one_quus_one
ケーヤさん:デプレシャンを見て思うのは、自分の恋愛観が壊される映画のほうが好きだということ。
tora_megane
ケイヤ:自分の持っている恋愛感が壊されていく感じが好き。
tora_megane
大寺:まさにデプレシャンの映画は恋愛観が壊されていく映画。
one_quus_one
大寺:デプレシャン、目の前にいる他人との出会い。地味に幻滅させられること。それこそ重要。
tora_megane
大寺:大人の意見が出ましたね。
tora_megane
ただいま休憩中
すみの君登場
tora_megane
大寺:では自己ピーアールを
one_quus_one
スミノさん:今晩から、バウスで『リミッツ・オブ・コントロール』やってます。今日ここまで自転車で来ました。
tora_megane
すみの:無職なので、自転車でここまできました。 バイトしないと
tora_megane
鈴木:すみのさんは中原さんのライブ手伝ってますよね
tora_megane
すみの:爆音上映の手伝いを始めたのは、よく行ってたから。面白いし、まぁやるでしょ。>なぜ爆音上映を手伝い始めたのか、との問いに答えて
tora_megane
さぁ、発表開始です!滝本くんのインビクタス論!
one_quus_one
タッキーの発表始まり。「切り返されざる視線」というタイトル。
tora_megane
「切り返されざる視線――イーストウッドの小津化と、デモクライゼーションについて」
one_quus_one
タッキー:イーストウッドには死の香りがしない。
one_quus_one
タッキー:イマジナリー・ラインの放棄と衆人環視のモティーフ
tora_megane
滝本: インビクタスの決定的に小津的であるといえる形式が存在する。「切り返されない視線=イマジナリー・ラインの放棄」
tora_megane
工藤:いくつか分からないところがある。デモクライゼーション……?
tora_megane
滝本:民主主義化という意味です。
tora_megane
工藤:「イマジナリーラインの放棄」と衆人環視の関連とは?
tora_megane
工藤:作品と作品との「切り返し」と作品内の「切り返し」を同列に論じているのか?
tora_megane
滝本:飛行機内のシーンでの匿名性。説話にあまり関わらない人々。
tamadaken
タッキー:飛行機シーンはわざわざパイロットを撮る。
tora_megane
工藤:しかし、それまでも匿名の人たちを撮っていたのでは?ブロンコ・ビリーなども
tora_megane
大寺:僕はインビクタスの匿名者に向けるカメラは珍しいなと感じた
tora_megane
大寺:ブロンコ・ビリーにおいて顔の見える小集団にたいしては撮っていたが、インビクタスのような大勢な集団を撮ったのは珍しい
one_quus_one
大寺:群集、または国民。
tora_megane
鈴木:ミリオンダラーの客席は暗く、リングだけを明るくしていたが、インビクタスは明らかに違う
tora_megane
工藤:どうでもいいですが、スタジアムに入る観客の中に一瞬イーストウッド映っていますね
one_quus_one
小林:テレビも重要では?
horntailboy (角尾宜信)
工藤:テレビとの関連で言うと、この映画のモティーフは窃視というより見届けるでは?
tora_megane
滝本:マンデラの演説、硫黄島など当時のフッテージを使ったり、当時の映像を使っている。イーストウッドはリアリストとして、そういうものを使う
tora_megane
小林:最初のはモーガン・フリーマンだよね?
tora_megane
大寺:タッキーは言葉から入るよね。 全体の流れがよく見えない。 大きな構造が見えない。 ある種民主主義的な映画として撮られている。それを論のメインにすえるとして それが「切り返し」の問題とどう関わってくるのかが不明瞭
one_quus_one
大寺:イーストウッドを切り返しから考えるのはどうか・・・・・・?
tora_megane
大寺:例えば、黒沢清の方が「切り返し」に拘っている。
tora_megane
大寺:「切り返し」と「名も無き人々」とはどう関わってくるの?
one_quus_one
大寺:「イマジナリーラインの放棄」と民主主義にはどういう関係があるの?
tora_megane
滝本:一つの視点ともう一つの視点として発表した。 二つが絡み合うかどうかはあまり考えなかった
tora_megane
滝本:マンデラの発する言葉は、観客や聴衆に向けての言葉。 会話ではない。
one_quus_one
大寺:マンデラが演説苦手なのは有名な話。むしろマンツーマンの人。
tora_megane
大寺:しかしマンデラは演説が下手な人物。そこがイーストウッドの面白い部分。むしろ対話を撮る人。 スポーツ協議会の場面で、結果を見せないでカットを切り、車の中で提示するところなど面白い
one_quus_one
大寺:イーストウッドはむしろ死の香りすると思う。特に最近。『ブラッド・ワーク』とか。イーストウッドの身体性が希薄になっていっている。
tora_megane
大寺:イーストウッドって死の香りがする。どんどん影が薄くなっている。一番なのは『ブラッド・ワーク』。 イーストウッドはなにもしなくなる、見るだけになる。 昔は肉体に拘る人だったのに(『ペイルライダー』)。
one_quus_one
角尾:(その関連として)記憶の継承が主題に浮上している。
tora_megane
角尾:受け継ぐという主題を突き詰めると『グラン・トリノ』
tora_megane
角尾:『インビクタス』の最後のシーンは、死ぬこともなく受け継がせるのが素晴らしい
one_quus_one
ケーヤさん:イーストウッドの代わりに誰かが死んで、彼自身は生き残るというスター性。イーストウッドはある時期からそれに悩み始めたのでは?
tora_megane
ケイヤ:イーストウッドの代わりにみんな死んでいき、自分だけは生き残ってしまう。それに対しての格闘。
one_quus_one
ケーヤさん:『父親たちの星条旗』も、生き残った三人の話。
tora_megane
ケーヤ:それが『グラン・トリノ』では逆転して、自分が死んでしまう。衝撃だった。
horntailboy
ケーヤ:自分が生き残ることとの格闘、それにどう対処するのか
tora_megane
工藤:中心になる登場人物たちが善人として振る舞うことについて。 それらの人々は本当に善人なのか。『チェンジリング』には、そういう テーマがあったのではないだろうか。
horntailboy
工藤:警察や役人、牧師が役に立たない、その社会の中で善を創りだす
tora_megane
ケイヤ:「窃視」よりも「目撃」。近年のイーストウッドは様々な要素が複雑に絡まり合っている
one_quus_one
鈴木:(イーストウッドの近年の作品について)不信が一つにまとまっていく、という傾向があるのでは。
tora_megane
鈴木:「信じる」というテーマも重要ではないか。そして空撮が多い。
one_quus_one
鈴木:空撮がインビクタスの中では印象的だった。
one_quus_one
大寺:あれは実際にあったんだけど、飛行機のくだりが大きく取り上げられているのは9.11以降の文脈だし、黒人大統領というテーマも現在のアメリカの状況と関連している。これまでの主題云々より、大きい映画。
tora_megane
大寺:ちなみにジェット機の場面は明らかに9.11を意識している。 『ミスティック・リバー』は『アウトロー』の自己批判みたいなもの。 それとは違って、『インビクタス』はもっと大きいものを 撮ったという感じ
tora_megane
大寺:『インビクタス』は、今までの主題はともあれ、素朴に映画を撮ってしまったという感じ。でかい映画を撮った。
tora_megane
関谷:映画に描かれた対立は、案外あっさり解決したという印象
one_quus_one
関谷:見終わった後のすっきりした感じ。素朴さ。対立が陰惨ではなかった気がする。
one_quus_one
大寺:復讐→自己犠牲というイーストウッドのテーマの系列とは異なる映画。
one_quus_one
大寺:世界をよくするために撮ったような感じ。
tora_megane
大寺:いままでのテーマとしての「復讐」、「自己犠牲」というものとはまったく違う。まず許すことで相手の中にある自分に対する恐れを取り除く。こういう発想はネルソン・マンデラのものでイーストウッドのものでは必ずしもない気がする
tora_megane
すみの:(『チェンジリング』のパンフレットで)黒沢清がイーストウッドに言及していたのが興味深い。ジェット機、人里離れたところにいると、変なものを見るなど、黒沢清の映画と似たモティーフが出てくる。
one_quus_one
すみのさん:黒沢清『回路』と似ている。飛行機が突っ込むところとか、隔離された収容所でマンデラの幻影(?)を見るとか。
tora_megane
大寺:でもホラーにはしないけどね。
tora_megane
大寺:素晴らしい指導者が世界を良くしていく。という意味ではインビクタスは古典的な映画。それをホラーとしてひっくり返したのが黒沢清のホラー。
tora_megane
奥田:音響がとてもよかった。
one_quus_one
奥田:バーとか、スタジアムの観客の盛り上がりようがすごい。
tora_megane
奥田:映画のなかで、バーなどで観客たちが見ていたテレビは一体なにを映していたのか。 どうしたらあんな一体感がうまれるのか
horntailboy
奥田:熱狂の演出が本当にリアル、どうやったんだろう?
tora_megane
小林:最後ジュピターで終わるよね
one_quus_one
小林:最後の曲はジュピター。王道。
one_quus_one
大寺:ふつうならあざとくなるのに、やりきっている。イーストウッド以外がやったら批判されてたと思う。でもそれを納得させるのが巨匠。
horntailboy
大寺:熱狂を全体にあてはめようと普通はあざとく考えるが、そのような操作はしない。イーストウッドでなかったら批判される。
tora_megane
大寺:試合場面の音響。ちょっと取ってつけたようなものじゃなかった? あざとい。イーストウッドはあざとく見えるのに、あえてそれをする。『エニイ・ギブン・サンデー』のような技巧を使わない。 イーストウッド以外じゃないと批判されているかもしれない
one_quus_one
玉田:スタジアムが、南アフリカの縮図。
tora_megane
大寺:イーストウッドは必ずしもアメリカ映画の王道を行っている人ではなかった。が、この映画では本当に王道で撮ったという感じ
one_quus_one
林原さん:黒人と白人の和解の過程がもう少し見たかった。
tora_megane
林原:もっと黒人、白人の対立を見たかった
one_quus_one
大寺:ラグビーを通じてその和解が成立していく。ディテールをどこまで切るか。
tora_megane
大寺:シンプルな話をシンプルに撮っている。複雑にすると大きな話にはならない。そういう意味では粗い映画
one_quus_one
休憩終わり、加藤君の発表。ジャック・ロジェについて
one_quus_one
タイトルは「ロジェとヴァカンスと女性」。
one_quus_one
加藤:尻、背中への執着。
horntailboy
加藤:外人好きで興奮!!!
tora_megane
加藤:『オルエットの方へ』は尻フェチのための映画
one_quus_one
加藤:外人が好き(笑)
one_quus_one
加藤:ホームビデオのよう。四コマ漫画のようでもある。
tora_megane
加藤:161分という長い。調子が一辺倒で、少しだれもした。
tora_megane
加藤:3人が最終的に仲良くなって終わるのかと思っていたが 上司が登場して展開が変わる
tora_megane
加藤:キャロリーヌが一番好き
one_quus_one
加藤:ジルベールが単なる女好きで終わっているのでは?
tora_megane
加藤:『アデュー・フィリピーヌ』 衣装、黒と白。ジュリエットとリリアーヌが交互に変化する。それが 心情も表している?
one_quus_one
加藤:『アデュー・フィリピーヌ』は白黒だからか、服の色が気になった。色の変化と心境の変化がが重なっているのかな、と。
tora_megane
加藤:男性のミシェルがそんなに楽しんでいないように見える。 ヴァカンスに出てくると逆にはしゃいでいない。 徴兵というものが画面を占めていたのでは。
tora_megane
加藤:どっちがミシェルと付き合うのか。
one_quus_one
加藤:男は、テレビ局の中では浮かれているけど、ヴァカンスに出てからはシリアス。
tora_megane
加藤:『メーヌ・オセアン』、罰金を取るほうがおかしい、というのが少し納得いかない。
one_quus_one
加藤:『メーヌ・オセアン』、車掌が悪とされないのはそれでいいのか?外国との文化の違いか?
tora_megane
加藤:そしてもっともコミカルな一本とされているが、自分としては一番おかしくなかった。 笑わせようとしているのに、結構すべっている。 デジャニラも美人じゃない
one_quus_one
加藤:裁判のシーンなど、面白みを優先させるがためにストーリーが軽んじられているのではないか?
one_quus_one
加藤:群像劇のよう。
tora_megane
加藤:自然と人工物。それぞれの映画の最初のシーン。まず人工物が示される。 そして海に行く。そして最後のシーンでは、戦争、タイプライター、車で去る人。文明―自然―文明というサンドイッチになっている
one_quus_one
加藤:自然と人工物。自然を強調する。
one_quus_one
加藤:乗り物も。
tora_megane
加藤:様々な乗り物の場面が挿入されている。
one_quus_one
加藤:恋敵の存在。それによって笑いが生まれる。
tora_megane
加藤:恋敵の登場。それにより空回り役を配すことが出来て、それで笑いのシーンを作れる
one_quus_one
加藤:女性の子供っぽさ。
one_quus_one
加藤:女の人のキレるポイントが分からない。男性は苛立ちを我慢している。
tora_megane
加藤:行動原理がわからない。なぜ通訳させないのか。 普通に仲良くなる検察士と船乗りなど。なぜそうなるのかがわかりにくい。
one_quus_one
加藤:行動原理が分かりにくい。キャラクターが矛盾している。
one_quus_one
加藤:『アデュー・フィリピーヌ』は、主導権が二転三転する
one_quus_one
加藤:『アデュー・フィリピーヌ』は、結局男が主導権を握っている。
tora_megane
加藤:相違点。『アデュー・フィリピーヌ』の主導権はどちらかというと男が持っている。 『オルエットの方へ』は女。『メーヌ・オセアン』は女。
tora_megane
加藤:アデューは女性を中心に据えながら、男性が主導権を握る映画。
tora_megane
加藤:『オルエットの方へ』はガールズトーク映画。子供っぽい女性が主導しているが、男にも救いはある
tora_megane
加藤:『メーヌ・オセアン』は男性に救いは無い。
tora_megane
加藤:職業について。CMモデルという女性ならではの職業。『オルエットの方へ』は少し男性っぽい職業。 『メーヌ・オセアン』は女性ならではの職業。
one_quus_one
ケーヤさん:三作に共通しているのは、最終的に時間に縛られる生活に戻っていくこと。
one_quus_one
ケーヤさん:時間通りの電車で行って、時間が天候に左右される船で帰ってきて、車に乗って普段の時間に戻っていく。
one_quus_one
大寺さん:ただし、アデューの終結点はそれ以上に、青春の終わりという意味合いが強い。
tora_megane
ケイヤ:終結の仕方で、非日常と日常のどちらに着地するかが違うという話だったが、むしろ、時間に縛られる生活に戻ってくるという終わり方は同じ。 『メーヌ・オセアン』の冒頭の列車が象徴的。列車は時間通りに運行する乗り物だが、ラストの船というのは潮の満ちによって運行がさまたげられたりする。
one_quus_one
玉田:『オルエット』でジョエルは、ダイエットをしているといいながら、お菓子にかぶりついてしまう。目的がありつつ、それが破られても許されるのがヴァカンスの時間。
tora_megane
玉田:ヴァカンスとは「守る」ということが無効になるものなのではないか。
tora_megane
工藤:約束が破られる瞬間が一番楽しかったりする。
one_quus_one
玉田:ヴァカンスでは、約束は遊びのようなもの。日常生活のルールが壊れてしまうこと。
tora_megane
鈴木:『アデュー』の途中で乗せた歌手を途中で放棄するところなども
one_quus_one
大寺:それを積極的に映画の魅力にしている。『メーヌ』のラスト、船を延々乗り換えたりする。
one_quus_one
降矢:『オルエット』、床にぶちまけたうなぎを男が一つ一つすくっていたが、その間ずっとキャメラは廻っていたのか。時間がかかるだろうに、役者の顔が疲れていない。
one_quus_one
降矢:boidかなにかの対談で、ラース・フォン・トリアーの『イディオッツ』について黒沢清が、ルーレットのようなゲームをライヴでやったのか、ということを指摘していたのと、同じように。
tora_megane
工藤:圧倒的な楽しさを出す、現場の持続性というのは気になった。
tora_megane
大寺:しかしロジエとかルノワールなどは、撮影現場を考えるということ自体、思わない。ラース・フォン・トリアーの映画を見ればラース・フォン・トリアーにはなれる。同じことをしても、ロジエやルノワールにはなれない。
one_quus_one
滝本:笑いの質が、シュールな感じ。
tora_megane
滝本:上手い笑いじゃない。
tora_megane
みんな:うなぎの笑いはベタかシュールか!
one_quus_one
関谷:ベタなのでは?
one_quus_one
角尾:『アデュー』の食卓、多様さが生み出す笑い
tora_megane
大寺:AとBの話がCとの話に繋がっていくという、むしろ「転がっていく」という面白さがある。遅延し転がっていく
one_quus_one
大寺:どんどん転がっていく感じ。その予測のつかなさが笑いを呼ぶ。
one_quus_one
鈴木:『オルエット』、音楽をほとんど使っていない。長さを感じなかった。
one_quus_one
玉田:船長ははげているから面白いし、うなぎをこぼすから面白い。笑いに前段階がないことが面白い
one_quus_one
大寺:それ自体のおもしろさ。漫才とは正反対。
tora_megane
玉田:笑いを生み出す前段階の準備が無い。 最初からオチそのものが提示される。 オチまでの引き延ばしがない。 それ自体の面白さ
one_quus_one
大寺:加藤君はまさに男性の価値観からロジェを見ている。論理を欠いた面白さは、女性的。
tora_megane
大寺:男性的な構造をグズグズにしていく面白さ。 加藤くん(発表者)は男の子だなぁ
one_quus_one
鈴木:乗り物がダイナミック。
tora_megane
鈴木:ダイナミックな乗り物というのも、乗り物それ自体の面白さ
one_quus_one
大寺:海岸を馬をひっぱって歩くのとか、すごく面白い。
tora_megane
大寺:ヨットを引っ張っていくシーンなんてそうそう見れない。
one_quus_one
大寺:男の繊細さすら面白い。お前が繊細かよ、と(笑)。
one_quus_one
タッキー:誰にも作れそうで誰にも作れない。瀬田なつきのように。
tora_megane
滝本:時間をゆっくり使う。 ロジエのように同じように出来そうで、絶対出来ない
one_quus_one
奥田:それはイーストウッドが巨匠だから許される部分があるのとは違いますよね?
one_quus_one
鈴木:パパラッツィも、現場自体の面白さが表れている。
tora_megane
鈴木:例えば、ゴダールとバルドーが手を繋いでる。専属の写真家がなぜか裸とか、現場自体の面白さ。それがロジエの現場でもあるのではないか
one_quus_one
鈴木:ゴダールの現場で撮った短編では、モノローグを使ったりと、ゴダールが感染している。
tora_megane
滝本:即興があまりにも即興しすぎている。良い意味でドキュメンタリーっぽい
tora_megane
あのおまるはだれのもの?
one_quus_one
関谷:オルエットの冒頭で別荘に着いてカメラ目線になるところがきになる。
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あれはなんなのだろう。
tora_megane
滝本:綺麗だけどモデル体型ではない。
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鈴木:楽しみ以外に不意に空虚な面が出てくる。
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工藤:アデューの車内のシーンでの顔のクロースアップは決定的にヴァカンスの終わりを告げているように思える。すごいとしか言えない。
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玉田:案外ちゃんと撮っている。
tora_megane
工藤:砂浜を登るシーンなど何回もカットを割っている。
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玉田:実はちゃんと撮ってる。
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玉田:カメラと眼があってしまうところ、砂浜に車の線が残ってしまうとか、見ているとやはり気づく。
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大寺:ドキュメンタリーっぽいと言っても、ただ女の子集めたところであんな風にはならない。そのことを考えてもこの映画には絶対には届かない。むしろその届かなさの方が重要。その届かなさが面白い。
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大寺:追求しても仕方ない。届くはずがない。そこが凄い。
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大寺:映画に命があるとしか思えない。
tora_megane
大寺:コンセプトどうのこうの、というより生命があるとしか思えない。 むしろそのようなロジエ映画をどう語ればいいのだろうか? 今時の映画批評的に引っかかる部分を広げてというような語り方だと、 どうも罪悪感がある。
tora_megane
工藤:しかしなにかしら気になった部分を突いていく以外に方法はないのではないか。
tora_megane
大寺:しかし、それで殺しちゃったらだめでしょう。 ある種、批評殺しだが、極めて具体的か、極めて抽象的なことを語るしか無いかも、という気がする。 そこから、ロジエの映画にふさわしい、別な場所にある言葉を探すべき。
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玉田:漁師とか、素人の役者さんに話を聞いてみたほうがいいかもしれない。彼らには撮影自体がヴァカンスだったと思う。
(終)