3月 6 2010

関連告知 「デザイナーズ集合住宅の過去・現在・未来 展」

kudokan

Lehrstuckeメンバーの降矢さんより告知をいただいたので、一部編纂の上転載します。

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たびたび、Lehrstuckeに参加させてもらっている降矢です。
早稲田で建築を勉強しているのですが、この度、ミサワホーム「Aプロジェクト」主催の展覧会「デザイナーズ集合住宅の過去・現在・未来展」のお手伝いをさせていただいて、その告知をさせていただきたいと思います。

ミサワホームが、建築家と一般消費者の間の距離をもっと短く、緊密にするという名目で立ち上げた「Aプロジェクト」。
今回の「デザイナーズ集合住宅の過去・現在・未来展」も建築関係の展覧会に多い、図面と模型ばかりの展覧会とは違い、建築関係者以外の人たちにもとても楽しく有意義な展覧会になると思います。

以下、日時、関連イベントなどの詳細です。

デザイナーズ集合住宅の過去・現在・未来 展

会期 2010年3月10日(水)~20日(土)

10:00~18:00

開催場所 新宿NSビル16階インテリアホール
観覧料 無 料
展予定 石上純也、OMA(重松象平)、中村竜治、成瀬友梨+猪熊純、長谷川豪、若松均、株式会社アールエイジ、株式会社アルファープランナー、株式会社タカギプランニングオフィス、株式会社ブルースタジオ、株式会社リネア建築企画

デザイナー集合住宅の過去・現在・未来展ポスター

デザイナー集合住宅の過去・現在・未来展ポスター

企画・監修 南後由和、大島滋(ミサワホームAプロジェクト)
会場構成 大西麻貴
照明   岡安泉
パネル構成 栄家志保、工藤浩平
協 賛  株式会社INAX、東京電力株式会社、東リ株式会社、
発泡スチロール再資源化協会

【シンポジウムⅠ】デザイナーズ集合住宅の可能性
日時 2010年3月13日(土)

14:00~16:30

開催場所新宿NSビル16階 インテリアホール
参加費 無料、先着順定員約120名
パネリスト 長谷川豪(長谷川豪建築設計事務所)、谷内田章夫(谷内田章夫ワークショップ)、高木栄一(タカギプランニングオフィス)、西田善太(『BRUTUS』編集長) コメンテーター藤村龍至(藤村龍至建築設計事務所)モデレーター南後由和(東京大学)、大島滋(ミサワホームAプロジェクト)

テーマ
デザイナーズマンション設計の第一人者の谷内田氏、仲介業者の第一人者の高木氏、「デザイナーズ」の火付け役の西田氏、現在Aプロジェクトと組んで江古田に集合住宅を建築中の長谷川氏をパネリストに迎え、「デザイナーズ集合住宅」の現状とその可能性を考えます。

【シンポジウムⅡ】 集まって住むことの広がり
日時 2010年3月16日(火)

18:00~20:30
開催場所新宿NSビル16階 インテリアホール
参加費 無料、先着順定員約120名
パネリスト大西麻貴(東京大学大学院)、妙中将隆(東京大学大学院)、大島芳彦(ブルースタジオ)、馬場正尊(東京R不動産) コメンテーター篠原聡子(日本女子大学)モデレーター南後由和(東京大学)、大島滋(ミサワホームAプロジェクト)

テーマ
近年、シェアハウスやリノベーションなど新しい住まい方が見られるようなり、ビジネスとしても注目を集めています。特色のある不動産業者としても話題のブルースタジオの大島氏、東京R不動産の馬場氏をパネリストに迎え、アパート・マンションだけではない、これからの「集まって住む」かたちとその本質を考えます。


「デザイナーズ集合住宅」、「デザイナーズマンション」という言葉は、もはや定着した感がありますが、その定義については、甚だ曖昧なままです。

「デザイナーズ集合住宅」と聞いて、ある種のイメージ(コンクリートの打ち放し、ガラス張りのバス・トイレなど)が喚起されはしますが、それら全てが「デザイナーズ集合住宅」なのか、また、なぜ「デザイナーズ集合住宅」には、そのような建築的要素が多いのか。

さらに「デザイナーズ集合住宅」は、多くの建築家に活躍の場を提供し、一般の人たちには、建築家との出会いの場を提供するとともに、ある種のステータスとしての住処、市場の論理に建築が包摂されていく過程でもあったと思います。

このように、複雑であるにも関わらず、安易にイメージとして定着している「デザイナーズ集合住宅」。
展覧会では、「デザイナーズ集合住宅」が登場して来た時代的背景や、その後の受容のあり方を紹介し、またあえてステレオタイプ(上記のような)な「デザイナーズ集合住宅」の模型を作り展示することで、それらの持つ建築的要素の意味、意義などを検証する予定です。
そして、これらを通して「集まって住む」という原点に立ち返りながら、今後の集合住宅のあり方を探ります。

なお、僕は「沢田マンション」という建築素人の沢田夫妻が手作りで作り上げたマンションの模型を手伝いました。
現在ロードショー中の「恋するベーカリー」の監督ナンシー・マイヤーズの前作「ホリデイ」のように、今や従来の、定住する場所としての「住宅」、プライベート空間としての「住宅」といったものが変わりつつあるという側面は、絶対にあると思います。
ご来場していただいて、今後「住む」ということについてなにがしかの発見や考えるきっかけにしていただけたら、光栄です。

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ということです。面白そうですので、ぜひ!

私も、沢田マンションは気になっていたので、行ってみようと思っています。


3月 3 2010

[Lehrstucke 05]tsudalog

kudokan

[Lehrstucke 05]tsudalog

採録者:

one_quus_one=工藤(アカウントは大寺さんのもの)

tora_megane=降矢聡

tamadaken=玉田健太

horntailboy=角尾宜信

※発言者は、各文の冒頭に明記されています。

例)one_quus_one

玉田:タマちゃんには親近感を感じる。

※この場合、玉田の発言「タマちゃんには親近感を感じる。」を工藤が採録した形になります。

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one_quus_one (工藤鑑)

それでは、本日の[Lehrstucke 05]、実況はじめます。大寺さんのアカウントをお借りして工藤鑑がツイートします。よろしくどうぞ~。

tora_megane (降矢聡)

大寺:諒って鯨って漢字に似てるね<本日の発表者、加藤諒君に

tamadaken (玉田健太)

恒例の自己紹介開始

tora_megane

今回は自己紹介と合わせて、各自、「この恋愛映画がすごい」話もすることに。

tamadaken

大寺:トリュフォーやデプレシャンなど、まず基本的なものを

tora_megane

加藤:あんまり恋愛映画観ないですね

tora_megane

加藤:ボーイズオンザラン。原作に比べたらそんなにだけど結構楽しめた

tora_megane

林原:2回目の参加。早稲田第二文学部生です。

tora_megane

林原:瑞々しい恋愛心を無くしてしまった

tora_megane

大寺:無くしたってことは、過去にはあったんでしょ?

tora_megane

林原:おすすめは百年恋歌。瑞々しい。

tamadaken

林原:かつてあったが、今は失われたと思われる恋心について。恋愛映画を撮ることについて。

one_quus_one

鈴木:シャブロル『気のいい女たち』。ここからシネフィルの若い男の子のストーカー傾向について話が発展。

tora_megane

工藤:『気のいい女たち』って恋愛映画じゃないじゃん!

tora_megane

大寺:男子に好きな恋愛映画を聞くと、ストーカーっぽいのを選ぶよね。

tora_megane

鈴木:ジャック・ロジェのような、瑞々しいのも好き

tora_megane

角尾:『モダンタイムス』(チャップリン)。最後の台詞、頑張れば大丈夫だよに感動

tora_megane

大寺:でも織田くん(チャップリン風に演じたフィギュアスケート)はだめだったよ

tora_megane

チャップリンの「街の灯」は現実か幻想か? 大寺VS角尾

tamadaken

大寺:女性との関わりを拒否して男のロマンを残すカラックス、これらを推す男の子。ロメールは違う

tora_megane

大寺:角尾くんのもっと生々しい話を聞きたいよ

tamadaken

角尾:個人的には、生々しい恋愛をした。

tora_megane

大寺:どういう恋愛映画が好きかで、どんな恋愛してきたかわかる

tora_megane

大寺:みんな、恋愛映画を語って、恥ずかしさを乗り越えよう! 今日は恥ずかしゼミナールです

one_quus_one

角尾さん、『モダンタイムス』にダメだしされてアルモドバル『トーク・トゥ・ハー』を挙げる。

tora_megane

角尾:『トーク・トゥ・ハー』。あのちょっと幼稚な男の子。あれ自分っぽくて恥ずかしい

one_quus_one

大寺:ここにいるメンバーは今度から映画館で遭遇したらアメリカンスタイルの挨拶(メジャーリーガーとかヒップホップの人がやるようなやつ)に決定。

tora_megane

関谷:アニーホール

one_quus_one

小林君もウディ・アレン。ぐっと大人な方向へ。

one_quus_one

大寺:ウディ・アレンももてない男の自己卑下が強い

tora_megane

大寺:そういう意味ではデプレシャンとウディ・アレンは似てる部分あるけど、そこから違っていくのが面白い

one_quus_one

大寺:(アレン作品は恋愛が楽しそうではないとの小林君の発言に)いや、アレンは恋愛至上主義者では?

tora_megane

奥田:まず宣伝をさせてください。3月15日11時半から17時まで早稲田大学学生会館にて、上映会やります! すべて早稲田大学一年生の作品です

tora_megane

大寺:ただ上映するだけじゃ、だめ。興味を持ってもらう、意見を言ってもらうための努力が必要

one_quus_one

大寺:「開かれる」とかいっても、意見もらえるとは限らない。意見をもらえるように宣伝や努力が必要。

tora_megane

大寺:映画の上映会自体を魅力的なものにしなくてはいけない ただ一年生が上映会やりますじゃ外部に対するアピールにならない

tamadaken

奥田、一年上映会お知らせビラを配布。明らかになっちゃん(この会の参加者である鈴木夏子)によるデザイン

tora_megane

工藤:はい、頑張って下さい

one_quus_one

大寺:外部の人に訴えかけるための魅力を作るためには、むしろ早稲田の一年生というのはウリにしない方がいいのでは?>奥田

tora_megane

奥田:オルエットの方へ ロジェ、全然知らなくて観た

tora_megane

奥田:オルエットのあの男、あのいじられっぷりは自分みたい

one_quus_one

奥田:親戚の女の子の間に一人だけ男として自分がいるのと同じ状況。

one_quus_one

大寺:血縁が絡むと、女の子同士の間には入れない。「弟」という枠はきつい。

tora_megane

大寺:駄目な自分を客観視出来る分、さっきのストーカー映画より恋愛レベルはワンステップアップ。

tora_megane

滝本:恋愛映画は基本あまり好きではない。 強いて言えばスコセッシ、『ドアをノックするのは誰?』

tamadaken

工藤:(ペットボトルを落とし)あぁ~

one_quus_one

タッキー(滝本):女の子をリビドーの対象としてしか見てこなかったので、ウェルメイドな恋愛映画には感情移入できないが、『ドアをノックするのは誰?』は好き

tora_megane

滝本:キム・ギドクとかも。オブセッションものが好きというかシンパシーを覚える

one_quus_one

タッキー:オブセッション、自己完結的な映画に惹かれる。ギドク、スコセッシ。

one_quus_one

タッキー:ケン・ローチの『マイ・ネーム・イズ・ジョー』。あと、カラックス。

one_quus_one

大寺:ヌーヴェルヴァーグの作品には全肯定でも全否定でもない普通の女の子が出てくる。ケン・ローチも。

tora_megane

滝本:ケン・ローチの映画ですごいのは反復と離反のモティーフ。

one_quus_one

大寺:ロマンに浸ろうとする男を、まあ酒でも飲めよ、と誘う感じがローチのよさ。

one_quus_one

大寺:映画鑑賞の形態(一方的な妄想)が童貞男の妄想と親和性が高い。だからダメというわけでもなく、でもそれを自己肯定して良い訳でもない。

tora_megane

滝本:ビスコンティ『ベニスに死す』。小さい頃に観て憧れた

one_quus_one

大寺:子供の頃憧れる耽美な世界だよね

one_quus_one

降矢:ロン・ハワード『スプラッシュ』。人魚の女の子がオルゴールをもらって、「素敵な箱」というところ。そこから噴水につながる。

one_quus_one

降矢:ナオミ・ワッツが気になる。何もなさそうだけど・・・・・・。

one_quus_one

大寺:真中瞳の存在感と似ている気がする(笑)。安い感じ。プロデューサーと寝てそうな……失礼なこと言ってしまった(笑)

one_quus_one

降矢:表層的

one_quus_one

降矢:『キングコング』で替え玉にされてもぜんぜん平気、みたいな。タクシーの黄色とナオミ・ワッツの金髪すら交換可能なのではないか、と思うほど

one_quus_one

タッキー:『マルホランド・ドライヴ』そのままの感じ。

one_quus_one

大寺:テレビタレント感がある。

one_quus_one

玉田:雨に唄えば。三角関係が生じないのがもとから決められているかのよう。

tora_megane

玉田:脇役の男の(ジャンルの規則として禁止されている)恋愛が気になる。

one_quus_one

玉田:デビー・レイノルズはジーン・ケリーの方もドナルド・オコナーの方も均一に振り向くし、ドナルド・オコナーにキスをしても恋愛だとは思わない。

tora_megane

大寺:(工藤に向かって)唯一のパパとして頼みますよ

tora_megane

工藤:『ラブ・アクチュアリー』が好き。でも憧れ。 実情に近いのは、リチャード・リンクレイター『ビフォア・サンライズ』と『ビフォア・サンセット』。

tora_megane

大寺:(『ビフォア・サンライズ』『ビフォア・サンセット』は)ロメールの真似っこみたいな映画だよね。ところで、リンクレイターはどうだろう? メジャーとマイナーどちらも撮るけど どちらもそこそこな感じ。 そのそこそこ上手く出来るっていうことに 無反省な感じがする。むしろそこそこで誇らしく感じているのでは?

tora_megane

大寺:ソダーバーグにも似ているようなところがあるけど、ソダーバーグは、そのそこそこ感をわかっている。その枠への自己批判がある。 リンクレイターは小市民では?

tora_megane

工藤:私は小市民を肯定します。 むしろソダーバーグのほうが古いんではないか?

tora_megane

大寺:でも、それこそ重要な点では?今の時代、撮ろうと思えば結構それなりに撮れてしまう。 ソダーバーグはそんな自分にそれでいいのか?と問いかけているのでは。 リンクレイターにそれはない。

tora_megane

大寺:ソダーバーグには頭の良さに対して恐怖がある。

tora_megane

工藤:リンクレイターは反省しないことを選択し、あえて真似しているという態度を 提示していると考えることも可能では?

tora_megane

大寺:というよりリンクレイターは満足しているのでは? ソダーバーグの「インフォーマント!」は何でもそこそこやれることに対する恐怖の 映画だった

tamadaken

大寺:ハリウッドでエッジを効かせるためには、時間軸をいじるというのは古典的な方法>タッキーによる、ソダーバーグ作品における時間軸操作の指摘に対して

tora_megane

ケイヤ:今日初参加。中条(省平)さんのゼミにいます。 最近、関心あるのは、戦後のハリウッド映画とモダニティについて。

one_quus_one

ケーヤさん:ダグラス・サークから、戦後のハリウッド映画とモダニティについての研究。

tora_megane

大寺:なぜダグラス・サークを?

(ケーヤさんはぴあフィルムフェスティバルのサーク特集を見たようです)

tora_megane

ケイヤ:(これが凄い!恋愛映画の話に戻って)デプレシャン『クリスマス・ストーリー』。先日、試写にて。

one_quus_one

ケーヤさん:デプレシャンを見て思うのは、自分の恋愛観が壊される映画のほうが好きだということ。

tora_megane

ケイヤ:自分の持っている恋愛感が壊されていく感じが好き。

tora_megane

大寺:まさにデプレシャンの映画は恋愛観が壊されていく映画。

one_quus_one

大寺:デプレシャン、目の前にいる他人との出会い。地味に幻滅させられること。それこそ重要。

tora_megane

大寺:大人の意見が出ましたね。

tora_megane

ただいま休憩中

すみの君登場

tora_megane

大寺:では自己ピーアールを

one_quus_one

スミノさん:今晩から、バウスで『リミッツ・オブ・コントロール』やってます。今日ここまで自転車で来ました。

tora_megane

すみの:無職なので、自転車でここまできました。 バイトしないと

tora_megane

鈴木:すみのさんは中原さんのライブ手伝ってますよね

tora_megane

すみの:爆音上映の手伝いを始めたのは、よく行ってたから。面白いし、まぁやるでしょ。>なぜ爆音上映を手伝い始めたのか、との問いに答えて

tora_megane

さぁ、発表開始です!滝本くんのインビクタス論!

one_quus_one

タッキーの発表始まり。「切り返されざる視線」というタイトル。

tora_megane

「切り返されざる視線――イーストウッドの小津化と、デモクライゼーションについて」

one_quus_one

タッキー:イーストウッドには死の香りがしない。

one_quus_one

タッキー:イマジナリー・ラインの放棄と衆人環視のモティーフ

tora_megane

滝本: インビクタスの決定的に小津的であるといえる形式が存在する。「切り返されない視線=イマジナリー・ラインの放棄」

tora_megane

工藤:いくつか分からないところがある。デモクライゼーション……?

tora_megane

滝本:民主主義化という意味です。

tora_megane

工藤:「イマジナリーラインの放棄」と衆人環視の関連とは?

tora_megane

工藤:作品と作品との「切り返し」と作品内の「切り返し」を同列に論じているのか?

tora_megane

滝本:飛行機内のシーンでの匿名性。説話にあまり関わらない人々。

tamadaken

タッキー:飛行機シーンはわざわざパイロットを撮る。

tora_megane

工藤:しかし、それまでも匿名の人たちを撮っていたのでは?ブロンコ・ビリーなども

tora_megane

大寺:僕はインビクタスの匿名者に向けるカメラは珍しいなと感じた

tora_megane

大寺:ブロンコ・ビリーにおいて顔の見える小集団にたいしては撮っていたが、インビクタスのような大勢な集団を撮ったのは珍しい

one_quus_one

大寺:群集、または国民。

tora_megane

鈴木:ミリオンダラーの客席は暗く、リングだけを明るくしていたが、インビクタスは明らかに違う

tora_megane

工藤:どうでもいいですが、スタジアムに入る観客の中に一瞬イーストウッド映っていますね

one_quus_one

小林:テレビも重要では?

horntailboy (角尾宜信)

工藤:テレビとの関連で言うと、この映画のモティーフは窃視というより見届けるでは?

tora_megane

滝本:マンデラの演説、硫黄島など当時のフッテージを使ったり、当時の映像を使っている。イーストウッドはリアリストとして、そういうものを使う

tora_megane

小林:最初のはモーガン・フリーマンだよね?

tora_megane

大寺:タッキーは言葉から入るよね。 全体の流れがよく見えない。 大きな構造が見えない。 ある種民主主義的な映画として撮られている。それを論のメインにすえるとして それが「切り返し」の問題とどう関わってくるのかが不明瞭

one_quus_one

大寺:イーストウッドを切り返しから考えるのはどうか・・・・・・?

tora_megane

大寺:例えば、黒沢清の方が「切り返し」に拘っている。

tora_megane

大寺:「切り返し」と「名も無き人々」とはどう関わってくるの?

one_quus_one

大寺:「イマジナリーラインの放棄」と民主主義にはどういう関係があるの?

tora_megane

滝本:一つの視点ともう一つの視点として発表した。 二つが絡み合うかどうかはあまり考えなかった

tora_megane

滝本:マンデラの発する言葉は、観客や聴衆に向けての言葉。 会話ではない。

one_quus_one

大寺:マンデラが演説苦手なのは有名な話。むしろマンツーマンの人。

tora_megane

大寺:しかしマンデラは演説が下手な人物。そこがイーストウッドの面白い部分。むしろ対話を撮る人。 スポーツ協議会の場面で、結果を見せないでカットを切り、車の中で提示するところなど面白い

one_quus_one

大寺:イーストウッドはむしろ死の香りすると思う。特に最近。『ブラッド・ワーク』とか。イーストウッドの身体性が希薄になっていっている。

tora_megane

大寺:イーストウッドって死の香りがする。どんどん影が薄くなっている。一番なのは『ブラッド・ワーク』。 イーストウッドはなにもしなくなる、見るだけになる。 昔は肉体に拘る人だったのに(『ペイルライダー』)。

one_quus_one

角尾:(その関連として)記憶の継承が主題に浮上している。

tora_megane

角尾:受け継ぐという主題を突き詰めると『グラン・トリノ』

tora_megane

角尾:『インビクタス』の最後のシーンは、死ぬこともなく受け継がせるのが素晴らしい

one_quus_one

ケーヤさん:イーストウッドの代わりに誰かが死んで、彼自身は生き残るというスター性。イーストウッドはある時期からそれに悩み始めたのでは?

tora_megane

ケイヤ:イーストウッドの代わりにみんな死んでいき、自分だけは生き残ってしまう。それに対しての格闘。

one_quus_one

ケーヤさん:『父親たちの星条旗』も、生き残った三人の話。

tora_megane

ケーヤ:それが『グラン・トリノ』では逆転して、自分が死んでしまう。衝撃だった。

horntailboy

ケーヤ:自分が生き残ることとの格闘、それにどう対処するのか

tora_megane

工藤:中心になる登場人物たちが善人として振る舞うことについて。 それらの人々は本当に善人なのか。『チェンジリング』には、そういう テーマがあったのではないだろうか。

horntailboy

工藤:警察や役人、牧師が役に立たない、その社会の中で善を創りだす

tora_megane

ケイヤ:「窃視」よりも「目撃」。近年のイーストウッドは様々な要素が複雑に絡まり合っている

one_quus_one

鈴木:(イーストウッドの近年の作品について)不信が一つにまとまっていく、という傾向があるのでは。

tora_megane

鈴木:「信じる」というテーマも重要ではないか。そして空撮が多い。

one_quus_one

鈴木:空撮がインビクタスの中では印象的だった。

one_quus_one

大寺:あれは実際にあったんだけど、飛行機のくだりが大きく取り上げられているのは9.11以降の文脈だし、黒人大統領というテーマも現在のアメリカの状況と関連している。これまでの主題云々より、大きい映画。

tora_megane

大寺:ちなみにジェット機の場面は明らかに9.11を意識している。 『ミスティック・リバー』は『アウトロー』の自己批判みたいなもの。 それとは違って、『インビクタス』はもっと大きいものを 撮ったという感じ

tora_megane

大寺:『インビクタス』は、今までの主題はともあれ、素朴に映画を撮ってしまったという感じ。でかい映画を撮った。

tora_megane

関谷:映画に描かれた対立は、案外あっさり解決したという印象

one_quus_one

関谷:見終わった後のすっきりした感じ。素朴さ。対立が陰惨ではなかった気がする。

one_quus_one

大寺:復讐→自己犠牲というイーストウッドのテーマの系列とは異なる映画。

one_quus_one

大寺:世界をよくするために撮ったような感じ。

tora_megane

大寺:いままでのテーマとしての「復讐」、「自己犠牲」というものとはまったく違う。まず許すことで相手の中にある自分に対する恐れを取り除く。こういう発想はネルソン・マンデラのものでイーストウッドのものでは必ずしもない気がする

tora_megane

すみの:(『チェンジリング』のパンフレットで)黒沢清がイーストウッドに言及していたのが興味深い。ジェット機、人里離れたところにいると、変なものを見るなど、黒沢清の映画と似たモティーフが出てくる。

one_quus_one

すみのさん:黒沢清『回路』と似ている。飛行機が突っ込むところとか、隔離された収容所でマンデラの幻影(?)を見るとか。

tora_megane

大寺:でもホラーにはしないけどね。

tora_megane

大寺:素晴らしい指導者が世界を良くしていく。という意味ではインビクタスは古典的な映画。それをホラーとしてひっくり返したのが黒沢清のホラー。

tora_megane

奥田:音響がとてもよかった。

one_quus_one

奥田:バーとか、スタジアムの観客の盛り上がりようがすごい。

tora_megane

奥田:映画のなかで、バーなどで観客たちが見ていたテレビは一体なにを映していたのか。 どうしたらあんな一体感がうまれるのか

horntailboy

奥田:熱狂の演出が本当にリアル、どうやったんだろう?

tora_megane

小林:最後ジュピターで終わるよね

one_quus_one

小林:最後の曲はジュピター。王道。

one_quus_one

大寺:ふつうならあざとくなるのに、やりきっている。イーストウッド以外がやったら批判されてたと思う。でもそれを納得させるのが巨匠。

horntailboy

大寺:熱狂を全体にあてはめようと普通はあざとく考えるが、そのような操作はしない。イーストウッドでなかったら批判される。

tora_megane

大寺:試合場面の音響。ちょっと取ってつけたようなものじゃなかった? あざとい。イーストウッドはあざとく見えるのに、あえてそれをする。『エニイ・ギブン・サンデー』のような技巧を使わない。 イーストウッド以外じゃないと批判されているかもしれない

one_quus_one

玉田:スタジアムが、南アフリカの縮図。

tora_megane

大寺:イーストウッドは必ずしもアメリカ映画の王道を行っている人ではなかった。が、この映画では本当に王道で撮ったという感じ

one_quus_one

林原さん:黒人と白人の和解の過程がもう少し見たかった。

tora_megane

林原:もっと黒人、白人の対立を見たかった

one_quus_one

大寺:ラグビーを通じてその和解が成立していく。ディテールをどこまで切るか。

tora_megane

大寺:シンプルな話をシンプルに撮っている。複雑にすると大きな話にはならない。そういう意味では粗い映画

one_quus_one

休憩終わり、加藤君の発表。ジャック・ロジェについて

one_quus_one

タイトルは「ロジェとヴァカンスと女性」。

one_quus_one

加藤:尻、背中への執着。

horntailboy

加藤:外人好きで興奮!!!

tora_megane

加藤:『オルエットの方へ』は尻フェチのための映画

one_quus_one

加藤:外人が好き(笑)

one_quus_one

加藤:ホームビデオのよう。四コマ漫画のようでもある。

tora_megane

加藤:161分という長い。調子が一辺倒で、少しだれもした。

tora_megane

加藤:3人が最終的に仲良くなって終わるのかと思っていたが 上司が登場して展開が変わる
tora_megane

加藤:キャロリーヌが一番好き

one_quus_one

加藤:ジルベールが単なる女好きで終わっているのでは?

tora_megane

加藤:『アデュー・フィリピーヌ』 衣装、黒と白。ジュリエットとリリアーヌが交互に変化する。それが 心情も表している?

one_quus_one

加藤:『アデュー・フィリピーヌ』は白黒だからか、服の色が気になった。色の変化と心境の変化がが重なっているのかな、と。

tora_megane

加藤:男性のミシェルがそんなに楽しんでいないように見える。 ヴァカンスに出てくると逆にはしゃいでいない。 徴兵というものが画面を占めていたのでは。

tora_megane

加藤:どっちがミシェルと付き合うのか。

one_quus_one

加藤:男は、テレビ局の中では浮かれているけど、ヴァカンスに出てからはシリアス。

tora_megane

加藤:『メーヌ・オセアン』、罰金を取るほうがおかしい、というのが少し納得いかない。

one_quus_one

加藤:『メーヌ・オセアン』、車掌が悪とされないのはそれでいいのか?外国との文化の違いか?

tora_megane

加藤:そしてもっともコミカルな一本とされているが、自分としては一番おかしくなかった。 笑わせようとしているのに、結構すべっている。 デジャニラも美人じゃない

one_quus_one

加藤:裁判のシーンなど、面白みを優先させるがためにストーリーが軽んじられているのではないか?

one_quus_one

加藤:群像劇のよう。

tora_megane

加藤:自然と人工物。それぞれの映画の最初のシーン。まず人工物が示される。 そして海に行く。そして最後のシーンでは、戦争、タイプライター、車で去る人。文明―自然―文明というサンドイッチになっている

one_quus_one

加藤:自然と人工物。自然を強調する。

one_quus_one

加藤:乗り物も。

tora_megane

加藤:様々な乗り物の場面が挿入されている。

one_quus_one

加藤:恋敵の存在。それによって笑いが生まれる。

tora_megane

加藤:恋敵の登場。それにより空回り役を配すことが出来て、それで笑いのシーンを作れる

one_quus_one

加藤:女性の子供っぽさ。

one_quus_one

加藤:女の人のキレるポイントが分からない。男性は苛立ちを我慢している。

tora_megane

加藤:行動原理がわからない。なぜ通訳させないのか。 普通に仲良くなる検察士と船乗りなど。なぜそうなるのかがわかりにくい。

one_quus_one

加藤:行動原理が分かりにくい。キャラクターが矛盾している。

one_quus_one

加藤:『アデュー・フィリピーヌ』は、主導権が二転三転する

one_quus_one

加藤:『アデュー・フィリピーヌ』は、結局男が主導権を握っている。

tora_megane

加藤:相違点。『アデュー・フィリピーヌ』の主導権はどちらかというと男が持っている。 『オルエットの方へ』は女。『メーヌ・オセアン』は女。

tora_megane

加藤:アデューは女性を中心に据えながら、男性が主導権を握る映画。

tora_megane

加藤:『オルエットの方へ』はガールズトーク映画。子供っぽい女性が主導しているが、男にも救いはある

tora_megane

加藤:『メーヌ・オセアン』は男性に救いは無い。

tora_megane

加藤:職業について。CMモデルという女性ならではの職業。『オルエットの方へ』は少し男性っぽい職業。 『メーヌ・オセアン』は女性ならではの職業。

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ケーヤさん:三作に共通しているのは、最終的に時間に縛られる生活に戻っていくこと。

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ケーヤさん:時間通りの電車で行って、時間が天候に左右される船で帰ってきて、車に乗って普段の時間に戻っていく。

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大寺さん:ただし、アデューの終結点はそれ以上に、青春の終わりという意味合いが強い。

tora_megane

ケイヤ:終結の仕方で、非日常と日常のどちらに着地するかが違うという話だったが、むしろ、時間に縛られる生活に戻ってくるという終わり方は同じ。 『メーヌ・オセアン』の冒頭の列車が象徴的。列車は時間通りに運行する乗り物だが、ラストの船というのは潮の満ちによって運行がさまたげられたりする。

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玉田:『オルエット』でジョエルは、ダイエットをしているといいながら、お菓子にかぶりついてしまう。目的がありつつ、それが破られても許されるのがヴァカンスの時間。

tora_megane

玉田:ヴァカンスとは「守る」ということが無効になるものなのではないか。

tora_megane

工藤:約束が破られる瞬間が一番楽しかったりする。

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玉田:ヴァカンスでは、約束は遊びのようなもの。日常生活のルールが壊れてしまうこと。

tora_megane

鈴木:『アデュー』の途中で乗せた歌手を途中で放棄するところなども

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大寺:それを積極的に映画の魅力にしている。『メーヌ』のラスト、船を延々乗り換えたりする。

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降矢:『オルエット』、床にぶちまけたうなぎを男が一つ一つすくっていたが、その間ずっとキャメラは廻っていたのか。時間がかかるだろうに、役者の顔が疲れていない。

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降矢:boidかなにかの対談で、ラース・フォン・トリアーの『イディオッツ』について黒沢清が、ルーレットのようなゲームをライヴでやったのか、ということを指摘していたのと、同じように。

tora_megane

工藤:圧倒的な楽しさを出す、現場の持続性というのは気になった。

tora_megane

大寺:しかしロジエとかルノワールなどは、撮影現場を考えるということ自体、思わない。ラース・フォン・トリアーの映画を見ればラース・フォン・トリアーにはなれる。同じことをしても、ロジエやルノワールにはなれない。

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滝本:笑いの質が、シュールな感じ。

tora_megane

滝本:上手い笑いじゃない。

tora_megane

みんな:うなぎの笑いはベタかシュールか!

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関谷:ベタなのでは?

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角尾:『アデュー』の食卓、多様さが生み出す笑い

tora_megane

大寺:AとBの話がCとの話に繋がっていくという、むしろ「転がっていく」という面白さがある。遅延し転がっていく

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大寺:どんどん転がっていく感じ。その予測のつかなさが笑いを呼ぶ。

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鈴木:『オルエット』、音楽をほとんど使っていない。長さを感じなかった。

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玉田:船長ははげているから面白いし、うなぎをこぼすから面白い。笑いに前段階がないことが面白い

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大寺:それ自体のおもしろさ。漫才とは正反対。

tora_megane

玉田:笑いを生み出す前段階の準備が無い。 最初からオチそのものが提示される。 オチまでの引き延ばしがない。 それ自体の面白さ

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大寺:加藤君はまさに男性の価値観からロジェを見ている。論理を欠いた面白さは、女性的。

tora_megane

大寺:男性的な構造をグズグズにしていく面白さ。 加藤くん(発表者)は男の子だなぁ

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鈴木:乗り物がダイナミック。

tora_megane

鈴木:ダイナミックな乗り物というのも、乗り物それ自体の面白さ

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大寺:海岸を馬をひっぱって歩くのとか、すごく面白い。

tora_megane

大寺:ヨットを引っ張っていくシーンなんてそうそう見れない。

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大寺:男の繊細さすら面白い。お前が繊細かよ、と(笑)。

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タッキー:誰にも作れそうで誰にも作れない。瀬田なつきのように。

tora_megane

滝本:時間をゆっくり使う。 ロジエのように同じように出来そうで、絶対出来ない

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奥田:それはイーストウッドが巨匠だから許される部分があるのとは違いますよね?

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鈴木:パパラッツィも、現場自体の面白さが表れている。

tora_megane

鈴木:例えば、ゴダールとバルドーが手を繋いでる。専属の写真家がなぜか裸とか、現場自体の面白さ。それがロジエの現場でもあるのではないか

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鈴木:ゴダールの現場で撮った短編では、モノローグを使ったりと、ゴダールが感染している。

tora_megane

滝本:即興があまりにも即興しすぎている。良い意味でドキュメンタリーっぽい

tora_megane

あのおまるはだれのもの?

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関谷:オルエットの冒頭で別荘に着いてカメラ目線になるところがきになる。

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あれはなんなのだろう。

tora_megane

滝本:綺麗だけどモデル体型ではない。

tora_megane

鈴木:楽しみ以外に不意に空虚な面が出てくる。

tora_megane

工藤:アデューの車内のシーンでの顔のクロースアップは決定的にヴァカンスの終わりを告げているように思える。すごいとしか言えない。

tora_megane

玉田:案外ちゃんと撮っている。

tora_megane

工藤:砂浜を登るシーンなど何回もカットを割っている。

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玉田:実はちゃんと撮ってる。

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玉田:カメラと眼があってしまうところ、砂浜に車の線が残ってしまうとか、見ているとやはり気づく。

tora_megane

大寺:ドキュメンタリーっぽいと言っても、ただ女の子集めたところであんな風にはならない。そのことを考えてもこの映画には絶対には届かない。むしろその届かなさの方が重要。その届かなさが面白い。

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大寺:追求しても仕方ない。届くはずがない。そこが凄い。

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大寺:映画に命があるとしか思えない。

tora_megane

大寺:コンセプトどうのこうの、というより生命があるとしか思えない。 むしろそのようなロジエ映画をどう語ればいいのだろうか? 今時の映画批評的に引っかかる部分を広げてというような語り方だと、 どうも罪悪感がある。

tora_megane

工藤:しかしなにかしら気になった部分を突いていく以外に方法はないのではないか。

tora_megane

大寺:しかし、それで殺しちゃったらだめでしょう。 ある種、批評殺しだが、極めて具体的か、極めて抽象的なことを語るしか無いかも、という気がする。 そこから、ロジエの映画にふさわしい、別な場所にある言葉を探すべき。

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玉田:漁師とか、素人の役者さんに話を聞いてみたほうがいいかもしれない。彼らには撮影自体がヴァカンスだったと思う。

(終)


2月 22 2010

[Lehrstucke 05]終了

kudokan

ご参加いただいた皆様、ありがとうございました!

発表者のお二人もお疲れ様でした。

始まる前はイーストウッドもロジェも語りにくそうだな、と思っていたのですが、皆さん積極的に気付いたことや意見などを指摘してくれて、盛り上がりました。

ただ個人的には、(失礼を承知で言えば)そうした指摘が逆説的に、映画の核心を言葉で突くことの難しさを照射する様をまざまざと見せつけられるという、過酷な体験でもありましたが……。

しかし、今回も、二時間近くに及ぶ壮大な参加者自己紹介に始まり、発表後の討論が予定時間を過ぎるまで続けられるという、とても充実した会でした。

twitterによる議事録ことtsudalogは、現在鋭意編集中ですので、もうしばしお待ちください!

次回も日程が決まり次第、こちらに書きこみますので、お時間が合いましたら、ぜひご参加ください!!


2月 20 2010

[Lehrstucke 05]は本日

kudokan

14時から、早稲田大学学生会館W505にて開催します。
まだまだ参加受付中です。ぜひお越しください!

それから、今回もtwitterを利用して実況したいと思います。

いわゆる「tsudaり」をやろう、tsudaろうということです。

今回は複数の個人のアカウントで同時にやるので、twitterをやっている方は、以下のアカウントをそれぞれフォローしていただくと、実況の全容が時系列に沿って読めるようになります。

http://twitter.com/tora_megane

http://twitter.com/tamadaken

(上手くいきそうなら、ハッシュタグもつけます。)

もちろん、twitterに加入していない方でも上のアドレスで内容を読むことはできます。

ただしアカウントごとの個別のページを並行して見ないと、時系列に沿った実況の全容は分かりません……。

と言うとややこしいので言い換えますが、とりあえず以上のアドレスを全部開いておけば実況の様子が伺い知れます。

場の議論の主旨や熱気が、実況によって少しでも伝わるように頑張ってみたいと思います。

では、よろしくお願いします。


2月 17 2010

[Lehrstucke 05]は今週末、2/20

kudokan

「次回予定」のページでお知らせしている通り、今週末2/20は[Lehrstucke 05]です。

『インビクタス』にジャック・ロジェと、今回も豪華なラインナップ!

今回はどのような盛り上がりを見せるのか、私も非常に楽しみです。

皆様のご参加をお待ちしています!

以下詳細

[Lehrstucke 05]

2010年2月20日(土)

14;00~18:00

クリント・イーストウッド監督の新作『インビクタス』、特集が実現したジャック・ロジェ監督作品についての発表及び討議

大寺眞輔氏による講演

早稲田大学学生会館 W505 にて

次回[Lehrstucke 05]、最高に豪華な二本立てで開催します。

クリント・イーストウッドが、『チェンジリング』『グラントリノ』という、決定的な二作品を経て撮り上げた『インビクタス』

ネルソン・マンデラが題材でモーガン・フリーマン主演というから、ガチガチの伝記みたいなのかな、と思わせておきながら、ラグビー野郎マット・デイモンが絡んでくるというあたりに、どうも一筋縄ではいかない気配を感じる。

とりわけ『許されざる者』以降、「善人」であることの困難さという主題と向き合ってきたように思えるイーストウッドは、あらゆる「善人」が一人の女性の「希望」の前に無効を宣告される『チェンジリング』、そして「集大成的な」という言葉にはとても収まらない、偏屈な老人が周囲の善意をはねのけて圧倒的な「善」へと到達してしまう『グラントリノ』を撮ってしまった後で、ネルソン・マンデラにどのような「希望」を見出したのか。

エリック・ロメール亡きあと、〈「若い」老人ランキング〉の最上位からにらみを効かせるイーストウッドは、最新作で私たちにどのように活を入れてくるのだろうか。

そして、こちらも、〈「若い」老人ランキング〉ではイーストウッドに引けを取らない、ジャック・ロジェ

日本では長らく、紀伊国屋から出ている『アデュー・フィリピーヌ』のDVDと、過去のいくつかの映画祭や上映企画で見る機会が僅かにあるだけだったジャック・ロジェの、日本初の特集上映「ジャック・ロジェのヴァカンス」が、ユーロスペースで1月23日~2月19日まで開催される。

ヌーヴェル・ヴァーグを語る上で決して欠かすことのできない作家でありながら、これまで見る機会の限られてきたジャック・ロジェのフィルムが、しかもニュープリントで見られるというのだ。

これは見逃せない。今回上映される6作品をすべて見て、渋谷からの帰り道でヴァカンスに行くための切符を予約することになる者が続出することだろう。もちろん、電車や飛行機に乗る前に、[Lehrstucke 05]でジャック・ロジェ作品の魅力について大いに語り合うことが、ヴァカンスを一層華やかに盛り上げることは言うまでもない。

また、「nobody」32号に詳しいが、この上映企画を実現に導いたのが、ある個人の熱意と行動であったことも含めて、ジャック・ロジェの映画を今見ることの意味について考えてみたいと思う。

(工藤鑑)


2月 1 2010

[Lehrstucke 04]感想

tunoo

 初めて投稿します、いやしかも、ブログへの投稿自体、人生で二回目です、角尾です。お恥ずかしながら、、、先日以来、パソコンの深奥を極めねばと思いつつ、まだtwitter研究も手を付けておりませんが、、、というのも狂人アルトーにハマっており、マルクス兄弟を網羅しようとしているからです、と言い訳。

 さて、先日は発表、楽しませていただき、また勉強させていただきました。大寺先生から指摘があったように、タマちゃんも僕も、作品をキッチリ批判するということができていなかった気がし、悔しさ沸き立つ睦月の寒波の、岩に砕け散るを思い、大寺先生、今後はもっと先鋭・洗練された議論をすると心中、決しております(ちなみにメーリスにて、「良い先生になる」との吉兆を有難うございます!)。

 また、今更Lehrstuckeのホームページを確認しましたら、工藤君鈴木君から、ソダーヴァーグの参考文献情報が紹介されてまして、驚愕!情報収集がなっとらんかった、と猛省です。

 では、これからアバターを観に行ってきます!

 


1月 20 2010

[Lehrstucke 04]tsudalog

kudokan

(※本来のtwitterに表示されるタイムラインとは逆の時系列順で、つまり、記事のトップから読み始められるように並べてありますので、お間違えのないようお願いします。)

[Lehrstucke 04] tsudaログ 100117

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本日の[Lehrstucke 04]をtsudaります!担当者は、加藤くん。では、ここからあとは、加藤君の書き込みです。よろしく~

約11時間前 from web

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どうも、加藤です。Lehrstucke4回目始まり始まり~。

約11時間前 from web

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今回も、あらたに参加する新人さんがいて賑やか。

約11時間前 from web

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「09年のベスト」をお題に自己紹介中。

約10時間前 from web

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「カールじいさんの家」から3D映画論へ。

約10時間前 from web

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大寺:アバターは3Dで提示される世界に、ちんまりした印象を受ける。構築されたものとしての世界。そこから疎外されるような感覚。

約10時間前 from web

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大寺:スーパーフラットな世界を3Dで提示したのがアバターだったりする

約10時間前 from web

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大寺:2D映画はなくなるだろうか?→工藤:あの眼鏡をかける必要がなくなったら(笑)

約10時間前 from web

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工藤:1929年前後には大恐慌とトーキー移行があり、2009年前後にはリーマン・ショックと3Dブーム。重なっている。

約10時間前 from web

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「グラントリノ」VS「チェンジリング」

約10時間前 from web

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ちょっとtsudaり担当変わりまして工藤鑑です。今、早稲田映画サークル話。

約10時間前 from web

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ちなみに今出ているベストは、アストレとセラドン、母なる証明、カールじいさん、ワイズマン、グラントリノ

約10時間前 from web

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大寺:インビクタスはチェンジリングやグラントリノに比べればざっくりしている。

約10時間前 from web

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鈴木くん、有馬稲子さんについての話、淡島千景さんの話。スター性の希薄化について、3Dとからめて。宮崎あおいとの違いなど。

約10時間前 from web

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大寺:新文芸坐に行くと昔からのシネフィルに仲間入りした気になる(笑)

約10時間前 from web

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大寺:演劇の人たちは、映画に出るとアウラが失われる、というようなことを考えていた。映画の人たちは、テレビに出てアウラが失われたようにも見える。

約10時間前 from web

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大寺:結局、その人がいかにメディアを使えるかという距離感の問題ではないか。

約10時間前 from web

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大寺:今、人々がスターを望んでいないだけ。だから、いつかまたスターは現れるかも。

約10時間前 from web

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大寺:ヒッチコックだって、スターは要らないと言いながら、今見るとスターばっかりでてる。グレース・ケリーとか。

約10時間前 from web

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大寺:スターは後からつくられる。

約10時間前 from web

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高橋:リミッツ・オブ・コントロール。夏時間の庭の冒頭の音。ネネットとボニ。時間が濃密に感じられるもの。

約10時間前 from web

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大寺:リミッツ~、人が歩いているだけで画面に緊張感が走る。

約10時間前 from web

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大寺:アサイヤスは濃い世界を描きつつ、実はさらっとしてるのでは?

約10時間前 from web

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大寺:夏時間は、田舎のおばあちゃんものを踏襲しながら、デーモンラヴァーであり、冷たい水である。の割に薄い。それがグラントリノとくらべて世代間の近さを感じられるところ。

約10時間前 from web

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加藤:エヴァ映画版を二回見た。

約10時間前 from web

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幼少期にエヴァを見ていた世代の存在に、どよめきが走る。

約10時間前 from web

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大寺:西原理恵子が本宮ひろしタッチになった話。いろんなものにはまって芸風広げると良い。

約10時間前 from web

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玉田のベストというか思い入れ作品。スタートレックを飛行機上で見たこと。機内の状況とスタートレックのリンク。

約10時間前 from web

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玉田:幸せはシャンソニア劇場から、が、大傑作ではないものの、1930年代のフランス映画を意識した技術を感じた。

約10時間前 from web

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玉田:シャンソニア劇場のおっさんが銃を持っている姿が、にあわなすぎて面白かった。

約10時間前 from web

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タッキー:去年見たどの新作より、バルネットが印象に残ってる。

約10時間前 from web

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大寺:バルネットはアバターと正反対だよね

約10時間前 from web

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アバターのグリフィス話につなげて言うと、イントレランス的なのがアバター、東への道はバルネット路線

約10時間前 from web

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タッキー:バルネットは人が死ぬところを映すのを避けている。

約10時間前 from web

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大寺:『国境の町』は最初フィルムセンターで最初に上映された時、誰も話が理解できなかった。というのは、上映する側が巻数を間違えていたから(笑)。

約10時間前 from web

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大寺さんの近況。大寺:書くと忘れる(笑)。去年のベストとか言ってないで、今年のベスト見つけようよ(←言いだしっぺなのに・笑)。

約10時間前 from web

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大寺:次回シネクラブはシャブロル特集!ゲストあり!2009年ベストは横浜日仏学院シネクラブ(笑)。

約9時間前 from web

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玉田による、タル・ベーラ発表開始。

約9時間前 from web

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玉田:倫敦から来た男の感想。面白くはなかった。カット数30切ってるらしい。長回しがしっくりこない。アンゲロプロスとは違い、長回しが単調。

約9時間前 from web

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玉田:そこまでワンショットを長く撮る理由が良く分からない。物語上重要でないものでさえ、なぜか長々と映し出される。娘が働いている店のおばあさんなど。

約9時間前 from web

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玉田:ビリヤード台の脇の踊りも、踊りとしては面白いけど、なぜああ長いのか。あと、ラストのドア。

約9時間前 from web

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玉田:食料を持って行くところでは歩いている足がずっと映され、別のところでは肩から上がずっと映される。なにも達成されない。報われない。そういう閉塞感がある。そのための長回しと反復運動。何も生み出すことができないものとして。

約9時間前 from web

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玉田:動こうとしているものを、動いていないように撮ろうとしているかのよう。

約9時間前 from web

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玉田:映画で扱うテーマとしての無意味さを映すために、ショット自体を無意味にしてしまうことは面白くないのでは?

約9時間前 from web

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玉田:食料を持って助けに行くシーンこそ、見るべきだったのかも。しかし、その長さは、他の長さの中で際立たなくなっている。

約9時間前 from web

one_quus_one

玉田:この長さこそ、タル・ベーラのセールス・ポイントになってしまっているのでは?

約9時間前 from web

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玉田:「芸術映画」の一要素としての長回し?むしろ、この長回しの面白さを知りたい。

約9時間前 from web

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玉田:ベラ・バラージュの本だったか、心地よい音楽は一音目が鳴った時点で最後の音まで分かる、とあった。

約9時間前 from web

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玉田:タル・ベーラの場合、写されている以外の空間が感じられない。

約9時間前 from web

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玉田:閉塞感の出し方が安易ではないか?狭い路地で子供がボールをけったり、美人でない女たちや、異常さを狙って撮ったとしか思えない男二人のように。シュヴァンクマイエルをほうふつとさせる。

約9時間前 from web

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玉田:最初から不幸そう。そこが面白くない。

約9時間前 from web

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玉田:食事がまずそう。まずそうなスープ。なぜまずそうな食事を映すのか。

約9時間前 from web

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玉田:最初から異常に見えるならば、それを長く映していても見ている側の印象に変化はないだろう。

約9時間前 from web

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玉田:要するにやり過ぎ。

約9時間前 from web

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小林:お金があまりちゃんと映されなかった。→玉田:乾かすシーンくらい。

約9時間前 from web

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大寺:お金は明らかに説話に絡んでるし、もともとイメージが観客にハッキリ共有されているものだし、乾かすシーンはちゃんと丁寧に映されていたから、マクガフィンではない>タッキー

約9時間前 from web

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タッキー:アンナ~のようなのぞき見のテーマ?→鈴木:画面は素晴らしいが、スリルがない。実験映画のように、時間の連続性や行為を映すための長回しでは?

約9時間前 from web

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玉田:長回しという技法で撮られているからといって、映画内で連続した時間として扱えるのか?現実的な時間とは切り離されているのでは?

約9時間前 from web

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タッキー:物が構図に収められてるだけ。

約9時間前 from web

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玉田:原作を無理に映画に落とし込んでしまったのでは?

約9時間前 from web

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大寺:作家が想定した範囲内で、それが良くないと言うだけでは、単なる好き嫌いの話になってしまう。>玉田発表

約9時間前 from web

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大寺:傍観者。遠隔操作。外に出たがために、いろいろなものが身に迫ってくる。しかし、それも大したことではない。その単調さ。「観客の前に意味を投げ出す」という、現代芸術の紋切型に等しいテーゼ。

約9時間前 from web

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大寺:(続き)それらを否定するためには、もう一つ付け加えないと。上下運動や奥行きの運動がどうなっていたかなど。監督はこういうつもりで撮ったのだろうけど、この箇所はこうなっていないですよ、と。

約9時間前 from web

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大寺:撮った人間を説得するには、撮ったものが意識していなかったことを指摘すると良い。

約9時間前 from web

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大寺:倫敦~もインフォーマントも、都市の映画。しかし、倫敦~の都市は1920年代のように古い。

約9時間前 from web

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大寺:シュトロハイム、狂気としての自然主義。

約8時間前 from web

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大寺:シュトロハイム的な製作者の狂気が足りないのでは?

約8時間前 from web

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大寺:シムノンは人情小噺、三面記事の話が多く、それを自然主義的な画面として撮るのは面白いと思う。しかしこの映画の場合凄みになっていない。

約8時間前 from web

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大寺:玉田が言うような、見ているうちに変化が起こる長回しはオフュルス的な長回し。エロティックな。そっちでやった方が面白いのではないか?

約8時間前 from web

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タッキー、『変態村』を熱く語り始める。

約8時間前 from web

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大寺さん、『ウィッカーマン』『2000人の狂人』、ハーシェル・ゴードン・ルイスの名前を出すが、「今タル・ベーラの聖なる話してるから」とセルフつっこみ(笑)。

約8時間前 from web

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鈴木:奥さんが涙を流すだけで終われる映画か?

約8時間前 from web

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工藤:こういう閉じられた街の話になるのなら、もっと誇大妄想的に爆発しても良かった気がする。

約8時間前 from web

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玉田:ラストの涙のショットはすでに前にやってしまっているから、効かない。

約8時間前 from web

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高橋:警察をよく知っている、と思った。

約8時間前 from web

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大寺:頭の良い悪いと狂う/狂ってないということは違う。

約8時間前 from web

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角尾さんによる『インフォーマント!』についての発表開始!

約8時間前 from web

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角尾:『セックスと嘘とビデオテープ』(1989)の抽象性(「アート映画」風の?)から、『アウト・オブ・サイト』(1998)の娯楽性へ。そして『トラフィック』『チェ』二部作『インフォーマント』の社会性。

約8時間前 from web

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『セックスと嘘とビデオテープ』冒頭の抜粋。

約8時間前 from web

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角尾:四人の登場人物が、カットバックで分割され、四つの独立したベクトルとして登場する。

約8時間前 from web

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続けて『セックス~』のエンディングを抜粋。

約8時間前 from web

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角尾:四人が四人とも、冒頭と対照をなす結末を迎えている。

約8時間前 from web

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角尾:これを「個別的多元性」と、仮に呼ぶ。

約7時間前 from web

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『トラフィック』も『オーシャンズ』も、「個別的多元性」の構造を持つ。

約7時間前 from web

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角尾:1998年以降のソダーバーグ作品では、「個別的多元性」が企業や団体に拡大される。

約7時間前 from web

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角尾:別方向のベクトルのひとつひとつが、等価に扱われる。

約7時間前 from web

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角尾:『チェ』の個人個人が発する陳情や不満と、それに対するゲバラの個別対応。

約7時間前 from web

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角尾:現実=組織と、内面=個人という対比。その狭間での人間が描かれている?

約7時間前 from web

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角尾:嘘/仮面というテーマ。

約7時間前 from web

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角尾:ソダーバーグは葛藤を削ぎ落とし、仮面の方のみを提示してしまう傾向にあるのではないか?

約7時間前 from web

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角尾:空疎な道徳律を、無批判に「重いもの」として提示することの問題。

約7時間前 from web

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角尾:『インフォーマント』においては嘘が現実を凌駕する(cf. 大寺氏「buku」連載)、さらに瓦解する(ナレーションとセリフの一致する瞬間)。

約7時間前 from web

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角尾:『インフォーマント』で内面を覆い隠すのは陽気な音楽とナレーション、コミカルな台詞。その三点セットが繰り返される。

約7時間前 from web

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角尾:逆に、現実が嘘に介入する瞬間はあっただろうか?

約7時間前 from web

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角尾:『チェ』の、ゲバラの歩みに感じられる、尊厳。

約7時間前 from web

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大寺:論の進め方がちゃんとしてる。安心して聞けた。さすが大学院生。

約7時間前 from web

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工藤:「現実=組織」という結びつきは少し分かりにくかったなあ……。

約7時間前 from web

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角尾:組織の現れ方と、それを組織する各個人の内面ということ。内面も現実に含まれている。

約7時間前 from web

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大寺:『セックスと嘘とビデオテープ』に賞をやったのはヴェンダース。「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」でも話題になった。シューマッハがデビューしたのと同時期。シューマッハ、ソダーバーグ、荻野洋一が各分野のブライテスト・スターというカイエ内での雑談。『KAFKA』はひどかった。当時こういうロマネスクな映画が多かった(『裸のランチ』とか)。

約7時間前 from web

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大寺:しかしハリウッドで90年代を通してその後撮れなくなって、『イギリスから来た男』『エリン・ブロコビッチ』『トラフィック』で返り咲いた人、という認識。

約6時間前 from web

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大寺:『エリン~』は交通事故シーンがずば抜けてよかった。ラストも『レインメーカー』の頃のコッポラを思い出したりして、素晴らしい。

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大寺:ソダーバーグの安定しなさが分かる(笑)。さっきのアサイヤスの話とも通じる地に足のついてない感じは、分かるなあ、と。あと、企画の選び方に上手さを感じる。上滑りをするほど(笑)頭が良い。『インフォーマント!』の主人公のように(笑)。

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鈴木:子供が三人いる設定だけど一人しか出ていないとか、そういう未回収の嘘に戸惑ってしまう。

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鈴木:ゲバラは現実→内面の結果としての主観ショットというのは分かる。『インフォーマント』は?

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角尾:(↑)その役割を担っていたのは、ナレーション。

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大寺:音楽がキャッチ・ミー・イフ・ユー・キャンみたい。この映画、ソダーバーグ版キャッチ・ミー~でしょう。

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大寺:キャッチ・ミーでは、親子関係の話があったりして、内面と外面のずれが説明される。物語にしている。ソダーバーグは恐らく意識的にそれをしない。

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大寺:外に広がる風景もナレーションも、同様に薄い。それを捉えられるのが貴重。

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角尾:マット・デイモンの周りの人たちが翻弄されるのに目が行ってしまう。

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大寺:内面とその外の環境に差がない。すべてを均質にしてしまう、ある意味での無慈悲さ。それが面白い。

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角尾:時代を映すという意義はある。しかし……。

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大寺:スーパーフラットを志向した作品であっても、物語があることが多い。逆にソダーバーグは物語るべきポイントがあるのに、それなのに薄い(笑)。

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大寺:これ俺じゃん、と思わせるのは芸術の力。それはなかなかすごいことだ。

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工藤:でも、シニカル……。

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角尾:いや、シニカルなのは良いが……。これが時代を象徴しているというのが引っかかる。ウソ臭さが今っぽいというのはすごく分かるが……。

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小林:テレビで見た方が良いんじゃないかと思った。映画館で見るとなぜか損した気分に……(笑)。

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大寺:『チェ』のラストの主観ショットは、ヴェンダース『事の次第』。思いつきに見える(笑)。その肩すかし感が憎めない。これだけ長い時間つきあってきて、オチが思いつきかよ(笑)、という。

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タッキー:『エリン~』は、キャプラっぽい。

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工藤:ソダーバーグの作品を見てる間って、だまされてる気がする(笑)。それを受け入れられるか受け入れられないか。

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大寺:普通の映画監督が考えていることはほとんど考えていないんじゃないか。でも、頭が良い。シネフィルの嗜好にそぐわない映画かもしれないけど、見ているといろんな刺激をもらえる。趣味の共同体を守ることより、新たな世界へ連れ出してくれるものを見つける方が面白い。

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大寺:ハリウッドで内面と外面を扱ってきた代表例はフィルム・ノワール。ソダーバーグもフィルム・ノワールをたびたび意識して撮ってる。そのジャンルを軽く扱ってる感じも、映画監督が見たら怒るかも知れないけど、いろんなヒントがある。

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大寺:『イギリスから来た男』はかっこいい。ブアマンの『ポイント・ブランク』みたいな。

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『倫敦から来た男』とここでつながった(タイトルが)。

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角尾:時代を発見するとき、その発見する主体はどちらかにコミットしてしまうと考えている。肯定的な面を取りだしたくなる。

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大寺:今はドラマツルギーではなく、気分の時代。自分も含めこの程度です、という風に示してしまう。シニカルだけど、出発点はそこだと思う。

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と、この辺で、移動しまーす。延長戦は新年会で!以上、工藤鑑が調子に乗って
tsudaりました!
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1月 20 2010

[Lehrstucke 04]終了

kudokan

[Lehrstucke 04]、盛況のうちに終了しました!

ご参加いただいた皆さん、積極的な発言ありがとうございました。

タル・ベーラもソダーバーグも、なかなか切り崩せなくて苦戦しましたが、その中でもいろいろと貴重な指摘が出たように思います。

今回参加できなかった方、次回はぜひ。

2010年2月20日(土)、イーストウッド新作『インビクタス』と、特集上映が実現したジャック・ロジェ監督について、とことん話すことになるでしょう!

詳細は「次回予定」のページに書いておきます。

興味のありそうなお友達にも、ぜひ[Lehrstucke]のことを知らせて下さい。

よろしくお願いします。

ところで、[Lehrstucke 04]の模様を、試験的にtsudaってみました。

「tsudaる」というのは最近何かと話題のtwitterでもって何か会合の様子を簡易議事録っぽく実況する、というものです。

今回は参加者の加藤君と工藤の二人だけで、大寺さんのアカウントを急遽お借りしてやったので、打ち込みが間に合わず、拾えなかった話がいくつもあります。

それでも、これだけの長さのものができましたので、[Lehrstucke]の実際の様子を知ってもらうのには良いかと思います。

では、次の投稿に丸々載せますので、どうぞご覧下さい。


1月 17 2010

[Lehrstucke 04]まであと二時間半

kudokan

いよいよ本日、[Lehrstucke 04]です。
14時から、早稲田大学学生会館w505にて。
終了後、新年会ありマス。

今からでも遅くありません。
参加希望の方は、上の連絡フォームからご一報ください。

では、参加者の皆さん、会場でお会いしましょう!


1月 11 2010

[Lehrstucke 04]再告知

kudokan

Lehrstucke04大寺さん、素晴らしい告知画像(←)ありがとうございます!

視覚的なものがあった方が人目を引きますね。見栄えが良い・・・・・・次回から作ります。

あとチラシも作って映画館に置いてもらったり、したいです。したいんですけど、デザインできなくて手を出せずにいます。

というわけでどなたか、そういうデザインやってくださる方いたら、ご一報下さると助かります!

さて、思い余って予想外の告知をしてしまいましたが、ここからが本題です。

大寺さんのブログでも告知いただいたように、週末、1月17日(日)は[Lehrstucke 04]を開催します。

スティーヴン・ソダーバーグの『インフォーマント!』とタル・ベーラの『倫敦から来た男』の二本について、それぞれ担当者による発表の後、討議に移ります。

14:00~18:00、会場は早稲田大学学生会館W505です。

『倫敦から来た男』はシアター・イメージフォーラムで

10:45/13:30/16:15/19:00

の一日四回、まだ上映をやっています。

ただ、『インフォーマント!』の方ですが、恵比寿ガーデンシネマで、

15:30

の一日一回のみの上映です。お気を付け下さい。

あと、こちらも大寺さんのブログでご案内いただきましたが、[Lehrstucke 04]終了後に新年会を開催します。

こちらのみの参加も歓迎ですので、ご興味のある方はページ上の「連絡」から、ご一報下さい。

[Lehrstucke 04]、新年会共に、多数のご参加をお待ちしています!


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